楽天の「履歴」を振り返りながら、ご自分の人生を振り返っていただく本企画。今回は社長の三木谷 浩史と楽天を創業し、礎を築いた本城 慎之介さんが登場。楽天の副社長を退任した後は、教育の現場で活躍され、現在は長野県軽井沢町で2020年4月に設立した軽井沢風越学園で理事長を務めています。楽天での経験は、今の学園づくりに活かされているそうです。
プログラミング言語の習得から、営業も自分の手で。
ゼロからはじまった楽天設立。
楽天: 創業時のお話から聞かせてください。楽天の事業の構想はいつから始まったのでしょうか?
本城 慎之介: 最初は三木谷さんと僕、あと2人のスタッフの合計4人でコンサルティング会社を営んでいました。その後2人が抜けて三木谷さんと2人きりになってしまい、なにかをはじめようという話になったのが1996年の秋頃。天然酵母パン店のフランチャイズ展開、地ビールレストランのフランチャイズ展開、オンラインショッピングモールのどれかをやろうと話していました。そのなかで一番元手がかからないのが、オンラインショッピングだったんです。これが間違いないという確信があったわけではなく、まずそこからスタートしてみようと手探りで始めました。始めたもののサーバーがなかったので友人から借りてきてセットアップし、僕も三木谷さんもプログラミングができないので知り合いのエンジニアチームに依頼。しかし期日までに出来上がらず…。そうしたら三木谷さんが『初めてのSQL』という本を買ってきて、「やっぱり自分たちでシステムをつくらないとだめだ。本城、これ読んでつくって」とその本を手渡されました。必死でそれを読みながら挑戦しましたが、何ともならず(笑)。そこで今もお世話になっている開発会社からエンジニアを派遣してもらい、みっちり2週間ほど教えてもらって少しずつつくっていきました。それでもどうにもならなくて、これまた僕の知り合いから紹介してもらった凄腕プログラマーに加わってもらいました。その横で三木谷さんも僕も、C言語の勉強をしているという状況だったんです。はじまりは、本を読んでシステムを自作するところから。本当にゼロからのスタートでした。
楽天: そこから97年2月には会社を設立。かなりスピーディーですね。
本城 慎之介: 毎日夜中の3時、4時まで事務所で仕事をしていましたからね。次の日も朝9時から働いていました。
楽天: 出店者を募るための営業も本城さんが行っていたんですか?
本城 慎之介: はい。僕らがシステム組んでいる間に三木谷さんや他のスタッフが営業に行き、僕も合間に営業に行きました。もともとの考えでは100店舗ほどが集まりオープンするはずでしたが、達成はならず。13店舗に集まっていただいてオープンしました。
楽天: 本城さんにとって、思い出深い出店者さんとのエピソードはありますか?
本城 慎之介: 僕は高校時代、北海道の函館で寮生活をしていました。思い出の地のお店にぜひ出店してほしいと思い1997年のゴールデンウィーク明け、函館まで営業に行きました。朝市に行って、店舗を1軒1軒回るんです。その中で、海産物を扱う〈函館カネニ〉さんのところへ行きました。そのとき社長の藤田さんが対応してくれて、僕は楽天市場システムの説明をしたんです。藤田さんは真剣に話を聞いてくれて、最後に「楽天市場のことはよくわからないけど、お兄ちゃんのことは信頼できる」とその場で判子を押してくれたことを今でも覚えています。今も〈函館カネニ〉さんは楽天市場に出店してくれていますし、僕も函館に行ったらお店に寄るなど交流が続いています。当時、楽天が今後どうなっていくのか正直僕らにもわからなかった。しかし僕を信頼して年間60万円というお金を払ってくれる。そんな藤田さんの言葉は僕の支えになりました。藤田さんの期待に応えたいと強く思い、1人でも多くのお客さんが来てくれるようなシステムで出店者さんをサポートしていこうと決意を新たにしました。
楽天: オープンしてからの楽天市場は順調だったのでしょうか?
本城 慎之介: 苦労してオープンしたものの、全然売れない。まだオンラインで買い物をすることが一般的ではなかった時代です。多くの人がクレジットカードの番号を入力することや、銀行で先に払い込んで買い物をするという行為に馴染みがなかったんです。
楽天市場で自ら買い物をしながら、
サービスの向上を。
楽天: 最初の頃のユーザーはどういった方々だったのでしょうか。
本城 慎之介: 三木谷さんや、当時のスタッフが試しに買ってみたり、知り合いが買ったりしてくれていました。
楽天: 本城さんもお買い物をされましたか?
本城 慎之介: 最初の買い物はひまわりでした。30本ほど注文し、花店から商品が届きました。しかし箱を開けてびっくり。ラッピングもなく、ただダンボールにごそっと乱雑にひまわりが入っていたんです。これではせっかくの花が台無しだとガッカリしました。
楽天: 最初は出店者もどういう売り方をすればいいのか、あまり理解されていなかったんですね。
本城 慎之介: そうなんです。ただオンラインショッピングのシステムをつくるだけではなく、売り方や届け方も伝えていく必要性を感じました。お客さんはどんなふうに届くと嬉しいと思うのか、商品を待っている間はどんな気持ちなのか、そういったことを学ぶためにつくったのが〈楽天大学〉。ネットショップの運営方法を学ぶ場、学び合う場です。同じショッピングモールに出店し、業種業態が似ている店同士はライバル関係でもあります。しかし僕は、その人たちが繋がり合うことでノウハウの交換が生まるなどの相乗効果があると信じていました。僕は商売に関して素人ですが、出店者さんの実践を見ながら現場で学び楽天大学のコンテンツにしていました。
楽天: そこから徐々に出店者数もユーザー数も増え、楽天市場が大きくなっていったのですね。
本城 慎之介: その後R-Mailというメールマガジン発行システムを開発し、出店者さんがメールマガジンで情報をお客さまに届ける仕組みができました。またR-Auctionというオークションの仕組みもできて、買い物をしなくても参加できる場ができたことでユーザーの拡大につながりました。楽天大学のコミュニティ化も功を奏し、楽天市場が拡大していったと思います。
副社長退任は自分自身との約束。
楽天: 本城さんは2002年に副社長を退任されます。なぜこのタイミングだったのでしょうか?
本城 慎之介: 三木谷さんは日本興業銀行に入行し、彼が30歳のときに辞めています。僕は就職活動をしていた当時、興銀を目指していました。僕の憧れの銀行に入ったにも関わらず、三木谷さんはそこを辞めた。なぜ辞めたのかを聞きに行ったことが三木谷さんとの出会いでした。会った翌日から、三木谷さんのオフィスに入り浸って彼の仕事をする様子を間近で見るようになります。そのとき三木谷さんが30歳で興銀を辞めたんだから、僕も30歳で独立をしようと決めたんです。
楽天: 教育の分野に挑戦したのはなぜですか?
本城 慎之介: 実は、当時から教育に携わることを考えていたわけではありません。30歳のとき、三木谷さんに独立の話を切り出しました。「三木谷さんは覚えていないかもしれないけれど、僕は30歳になったら独立をすると前からお話ししていましたよね? だから辞めます」と言ったら、引き止められました。三木谷さんを納得させるようなことを言わないと、辞めさせてもらえないと思い「教育をやりたいんです」と宣言。独立する時期は2年後でも10年後でもダメで、僕にとっては自分との約束を守ることが最優先だったんです。その後三木谷さんには何度も話を聞いてもらい、ついに了承していただきました。辞めるときに「情熱の炎を絶やすな、情熱さえあれば何とかなる」と声をかけてもらったことが心に残っています。
楽天: 2002年というと、楽天はどんな事業をしていたときですか?
本城 慎之介: 出店料金が、月額5万円から従量制に切り替わった時期ですね。そして楽天が流通総額1兆円を目指すと宣言した時期です。これまでと大きく戦略を変え、打ち出していったのが2001年、2002年の頃。このタイミングで辞めるなんて、もったいないといろんな人から言われました。まだまだいろんなことができるし、これから楽天はもっと成長するのにと。結果的に楽天は想像の何万倍も成長しました。
楽天: 後ろ髪引かれる思いはなかったのですか?
本城 慎之介: 時々、あのまま楽天にいたらどうなっていたのかと考えることはありますよ。しかし楽天を離れたからこそ出会えた人たちや、実現できたこともたくさんあります。楽天を辞めてから、夢に三木谷さんが度々出てくるんです。実は、この軽井沢風越学園を設立することになったのも2015年の秋に三木谷さんが夢に出てきたことがきっかけ。夢のなかで彼から「本城、お前の使命は何なんだ」と問いかけられました。楽天を辞めてから教育の現場に身を置き中学校の校長や、保育園の保育者として教育に携わってきたけれども、夢の中の三木谷さんの言葉を聞いて学校づくりに真剣に取り組もうというスイッチが入った。急いで学校づくりの準備を始めました。校舎が建ち始めときにも三木谷さんが出てきて、図面を見てまた怒られる。2017年に学校説明会を始めるときにも「受付のオペレーションがなっていない」と怒られました。夢のなかで叱咤激励され、大事な場面でのアドバイスをもらっています(笑)。
楽天での経験を存分に活かし、
実現した学校づくり。
楽天: 2020年に立ち上げた軽井沢風越学園はどんな学校ですか?
本城 慎之介: 一人ひとりが自分のペースと方法で学ぶことが、今後大事になってくると思っています。学園ではそれを「個に応じた学び」と呼んでいます。一斉授業はほとんど行っていません。例えばタブレットで学んでいる子もいれば紙の教科書で学ぶ子もいて、使っている問題集も学んでいる箇所も人によって違います。人工知能を活用した学びも採用。自分で学ぶことや、創造することを経験しないまま大人になってくと、社会や自分の未来に無関心になってしまう。自分の未来は自分で築くという意識を芽生えさせるためには、学びを自らつくることが大事だと考えています。
楽天: 日本ではかなり珍しい教育方法をとっている学校ですよね。
本城 慎之介: そうですね。この規模で幼稚園児から中学生までいる学校はあまりないと思います。社会に出るといろんな年齢の人がいますよね。12年間の幅を持った子どもたちがいて、お互い関わり合うことは社会として自然な形態だと思います。
楽天: 楽天での経験が、学園の運営に生かされていることはありますか?
本城 慎之介: 自分たちの手でつくることの大切さです。泥臭いことほど、自分の手を動かさないといけないと楽天で学びました。アイデアはこの世に腐るほどあっても、それを実行できる人がいない。アイデアを出すよりも実行していくことが大事。実行するためにはオペレーションを考えることや、人とのコミュニケーションが大事になります。それは学校づくりにも共通していました。この学園をつくるときも、木を切って森を拓いたり、図書館の机をデザインしたり、システムも独自のものをつくるなど自分の手を動かしました。また学園での学びと、楽天で出店することの共通点もあります。出店者さんにとっての第一歩は自分でホームページをつくること。デザイン会社に依頼してホームページをつくってもらい、更新をするのもシステム会社というのが楽天市場オープン当時は主流でしたが、店長さんが自分でホームページをつくって商品を売る。そうやって創意工夫をしながらお店をつくりあげることと、子どもたちが自分の学びを自らつくり出すことは繋がっています。未来を自分でつくるんだという創造性は、今後大事になるテーマだと思います。
楽天: 本城さんは2033年に軽井沢風越学園を引退されると公言していらっしゃいますね。
本城 慎之介: 2033年の3月に辞めることを決めています。そのとき風越学園が開校して12年経つんです。開校時に年少として入学した子どもたちが、小学校、中学校と12年間をこの場所で過ごして卒業する。それと共に僕も卒業します。そして2032年度は、僕はちょうど60歳。30歳で楽天を離れ教育の世界に入り、60歳で卒業する。区切りがいいかなと思っています。
楽天: その先のことは考えていらっしゃいますか?
本城 慎之介: 考えてないですね。そのときに面白いと思ったことに挑戦していると思います。
世間を驚かせ続ける楽天と、
新しい教育を実践する軽井沢風越学園。
楽天: 今でも楽天でお買い物はしていますか?
本城 慎之介: 軽井沢に引っ越しても、楽天があれば買い物に不便はないので重宝しています。学校の備品も楽天で買ったりしますよ。木を切るチェーンソーの替え刃も購入しました。
楽天: 今後の楽天に期待することはなんですか?
本城 慎之介: これからも世間を驚かせ続けてほしいですね。東北楽天ゴールデンイーグルスを発足させたときもそうですし、楽天銀行やカード会社、楽天モバイル、社内の英語化もそう。世間の人は「それは無理なんじゃないの?」と、半信半疑だったと思います。しかし楽天は確実にそれを実行し、実現してきた。先ほども言ったように僕はアイデアではなくて、実現することを大切にしています。これから楽天が何をやってくれるのか、とても楽しみにしています。
ほんじょう・しんのすけ/1972年北海道生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程在学中に、就職活動に励むなかで三木谷浩史氏に出会う。96年楽天の前身であるエム・ディー・エムの創業から参画し、楽天グループの取締役副社長を務めた。2002年に副社長を退く。以降は教育を軸に活動。20年に幼稚園、小学校、中学校の“混在校”である軽井沢風越学園を設立し、理事長に就任。子どもたちの自由な学びの場をつくっている。
楽天市場のオープン時に本城さんが購入したのは、約30本のひまわりの花。届いたものの、あまりにも乱雑に箱に詰められており、本城さんは驚いた。出店者に売り方を伝える必要性を感じた本城さんは、楽天大学を通してノウハウのレクチャーを始めたとのこと。
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